校長コラム

仮説と検証

 コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは、1492年10月12日のことでしたが、未知の大陸を発見しようと思っていた訳ではありません。当時、「地球は丸い」という考えが 一般に普及しはじめ、コロンブスもその考えに沿って、今までの航路と逆回りに進めばインドにたどり着くという仮説のもとに航海を行った結果、アメリカ大陸にたどりついたのです。(正確には今のバハマ諸島の一つです。)彼自身は、死ぬまでそこをインドの東側だと思っていたと言います。
 つまり、彼は最初に立てた仮説を証明するために航海を行い、その仮説が正しければ起こるであろう結果が起こったと見て、新大陸をインドの東側だと信じてしまったということだと思います。
 これは研究活動をする際には、本当に気をつけなければならないことで、表面的には正しく思えた結果が、実は全く異なる未知の要素によってもたらされたものであるということがよくあります。研究者は自分の立てた仮説に対する結果が、実は異なる要因による結果であったと考え直すことはなかなか難しいことで、ですから、様々な角度からの検証ということが必要になってきます。
 コロンブスの場合、仮説自体は正しかったわけで、そこに新大陸の存在という当時としては全く未知の要素があるとは考えもしなかったのでしょう。そこにコロンブスの悲劇があります。
 結局、このバハマ諸島を含む大陸がそれまで発見されていなかった新大陸であることを主張したのは、アメリゴ・ベスプッチで、それにちなんでアメリカ大陸という名前が生まれました。さらに、南北アメリカが一つの大陸であることがわかったのは、コロンブスの発見から20年以上経ってからのことです。
 当時の事情は分かりませんが、コロンブスがさらに何度か探検して新大陸であることが分かったならば、アメリカ大陸ではなく、コロンビア(コロンブスの地という意味)大陸と呼ばれていたかもしれませんね。

2021年03月17日

漱石の手紙

新年明けましておめでとうございます。
今年は丑年ということですが、夏目漱石にこんな手紙があります。
「牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可(いけま)せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可(いけま)せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
これから湯に入ります。」

これは漱石が大正5年に、芥川龍之介と久米正雄に送った手紙です。当時、漱石は49歳、亡くなる4ヶ月前でした。芥川と久米は菊池寛らとともに第4次「新思潮」を刊行し新進作家として世に出て行こうとしていた頃です。
時代は明治の近代化路線が一定の成果を上げながらその陰の部分も大きくなり始めた頃で、そんな世の中の状況に対する警告を間接的に述べたものともとれるし、あるいは鋭敏な才能に振り回されてしまいそうな芥川の行く末を心配して忠告したものかもしれません。いずれにしても大きく変化する時代に流されないで、焦らず、根気よく、深く考えることが大事であり、そのことが結局人を動かし、世の中を動かすことになると述べているのではないでしょうか。
科学技術や情報技術の進歩によって、目まぐるしく変化する現代において、「牛のように」焦らず、根気よく、深く考えて世の中を動かしていく、そういう人材を育てていきたいと考えています。

2021年01月15日

三人のレンガ職人

 イソップ童話に「3人のレンガ職人」という話があります。
 旅人が旅の途中で出会った3人のレンガ職人から話を聞きます。まず、最初の職人に『何をしているんですか?』と尋ねると、『レンガを積んでいるんだよ』と面倒くさそうに答えました。二人目の職人に同じことを聞くと『レンガを積んで壁をつくっているんだ。』と答えました。三人目は『教会の大聖堂をつくってるんだ。』と答えました。
 面白いのはそれぞれの職人の仕事に対する感想です。
 最初の職人は、「親方の命令で仕方なくやってるんだ。手は荒れるし、腰は痛いし大変だ。」、二人目は「食べるためにやってるんだ。仕事があるだけましだよ。」と答えたのに対して、三人目は「この大聖堂が完成したら、多くの人がここで祝福を受け、救われるんだ。この仕事に関われて光栄だ。」と答えました。
 三人とも同じ仕事をしているのに目的というかモチベーションが全く違います。
最初の職人は目的もなく、二人目の職人は生活費のために、三人目の職人は社会に貢献するために働いています。
 人間は自分の行動に意味を求める動物です。自分の中でその意味の価値が高ければ高いほど行動自体が楽しくやりがいのあるものになっていきます。同じやるならやりがいを持って楽しくやりたいものです。
 本校の生徒の皆さんは本当に一生懸命勉強しています。その勉強がどのように社会に結びつき、将来どのように社会に貢献できるかを考えるキャリア教育の充実が求められています。

2020年12月18日

伝統と革新

 伝統と革新、お互いにお互いの対義語として使われる言葉です。「伝統を守る」、「技術革新を引き起こす」といった使われ方をします。「伝統を守る」はいい意味で使われることが多いのですが、「旧套墨守」や「守株」のように悪い意味にも使われます。革新も同様です。
 伝統、革新ともにどういう時にいい意味や悪い意味になるのでしょうか。
 あるところに江戸時代から続く二つの和菓子屋さんがあります。一つは江戸時代からの和菓子の製法を忠実に守っており、もう一つは新しい製法や材料を次々と取り入れてユニークな和菓子を作っています。つまり伝統的な店と革新的な店というわけですが、全く対照的な経営でありながら、どちらもよく繁盛しています。なぜでしょうか。
 他にもいろいろな理由があるかも知れませんが、私は両店とも目標を立て、それに向かって一生懸命取り組むという姿勢が同じだからではないかと思っています。両店のご主人に聞いたところ、お二人とも「お客様に喜んでもらえる、満足してもらえること」という答えが返ってきました。「お客様に満足してもらう」、この目標は全てのお店に通じるものだと思いますが、これを達成するために、一方は伝統を厳格に守り続け、もう一方は新しい味に挑戦し続けているのです。そして、その目標が伝わるからお客さんが来てくれるのでしょう。
 つまり、伝統と革新というのは目標達成のための方法論に過ぎず、大切なのはしっかりと目標を立て、それを達成するために努力することではないでしょうか。
 向陽高校は105年の歴史と伝統を誇りますが、それは生徒の皆さんがそれぞれの目標に向かって一生懸命取り組んだ105年間だったということだと思いますし、その姿勢が変わらない限り、今後も時には伝統を守り、時には革新を引き起こしながら学校として続いていくのだと思います。

2020年11月09日